2001年11月創刊
自然・歴史・文化と文学の宝庫
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■■■ 発刊の言葉より ■■■
いま、この地方の自然や風物、生活の実相を掘り起こし、その伝統の重みと今日の息吹を呼び込みながら、私たちは地域をより身近なものとして受け止め、この文化を次の世代に伝えていきたいと思っています。
このシリーズの企画は、こうした意図のもとに生まれ、小田原をはじめとひろくこの地方の自然・歴史・現状を、さまざまな角度から親しみやすく、分かりやすく、身近なものとして学べる広場とすることを目的としています。また、地域を再発見する旅へ誘い、一人ひとりの自分探しのライブラリーとなるよう目指しています。
「小田原ライブラリー」は、人びとが生活文化の過去といまを共有し、希望を将来に託するという新しい視点でつくりあげていきたいと考えています。このシリーズが21世紀に生きる人びとへのささやかな道標となることを願ってやみません。
編集委員 金原左門 故岩崎宗純
川添 猛 佐藤勝信 |
■■■ 「胸に残る言葉」を編み上げる 太田俊郎 ■■■ この文でいう小田原は、行政地域の小田原市でなく、小田原を中心とする地域のことです。 東京に通勤していた時分、帰りの電車が馬入川(相模川)の鉄橋を渡ると、「やれやれ今日も終ったか」とほっとしたものだった。酒匂川を越えると、それこそ体中の緊張感が脱げ去り、でれーっとした心地良さが戻ってきたのを覚えている。そして小田原駅の改札口を出て家までの道で友人にでも会うと、ごく自然に、「おめえ元気かよ」といった小田原弁が出たものだった。
この安堵感は、他の町に住んでいた頃の帰宅時に味わった安堵感とは、厚味が違った。小田原という街が醸し出すオーラがつくる独特のものだった。小田原の持つ〝土着性共同体〝―気取っていえばエスニシティの匂があってこそのものだった。
現役を退いた後、ある大学に講師として通うことになった。JRの辻堂駅からスクールバスで茅ヶ崎市のはずれを抜けての通勤だったが、途中、上り下りの街の一角をそのまま取り込んだ広大な住宅団地がある。そこを通るたびに、川向こうともいえる小田原にはまったくない景観だなと感じ入っていた。その一画だけで完結している生活機能を持った一角だったが、ジグザグ模様の人間関係が織りなす共同体の匂は薄かった。
小田原は全体として、人為的に造られた大都市とか郊外都市とは肌合いの違う、異質の生活体なのだ。それを土地っ子の多い因襲的な田舎性といって片づけてしまえば、ひどく短絡的で、話は終りとなる。東京というモンスター文明都会の利便さを百パーセント利用出来る最も東京に近いカントリー・タウンなのだ。統計はないが、東京の利便さをごく手軽に利用出来るのに、昼間人口と夜間人口の差のない町のナンバーワンだろう。そういったカントリーの証しがお城であり、お城を軸にした歴史ある街の息吹だと思う。小田原市内の辻々に貼ってある「歴史と文化の町」というフレーズは、至って変哲のない吸引力を欠くものだが、こういう意味ではまっとうでジス・イズ・オダワラである。
歴史とはいってみれば、土着性の綾なす織物でもある。文化とはその織物に包まれた生活のことだ。「文明はフロー文化はストック」といわれるが、長い土着性の堆積こそ文化そのものだろう。芝居や美術や小説だけが文化ではなく、生活のトータルが文化なのだろう。
長い歳月の中で積み重ねられてきた生活土壌には、埋め立て地のような人工都市の造成土壌とは違う年を重ねた地層がある。
かねがねそう思っていたら、その深味のある土壌を痩せないようにするため、このカントリー・タウンに鍬を入れて再耕作する動きが始まった。それがこの「小田原ライブラリー」の仕事だと思う。しかもこの再耕作は、ブルドーザーではなく鍬仕事だけに親しみが持てる。大仰に構えての〝小田原論〝ではない。昔からここで育った人はもちろん、他所から来た人も折にふれ耳にする小田原ゆかりの人や事象を、普通の言葉で語ってくれる自然体の作業ぶりが気持いい。
私個人のことだが、子供の時、母と世間話をしていた牧野信一のお母さんの〝おえいさん〝。箱根口の川治の祖父に当る料亭「花菱」の板前を仕切っていた川久保さん。箱根療養所の院長さんの娘で、東京までの通学列車が時に同じだった岩原さん。などなど他愛ない思い出が、このライブラリーが掘り起していく土中に散見されていくのも楽しい。
耳にタコの〝街の活性化〝というお題目を聞く。活性化は商店街の活性化、それには人口を増やすこと、そのために人の入れ物をたくさん造ること、という方程式は間違いではないだろう。が百人が百人同じメジャーで活性化を図ることでは能がない。このライブラリーは違う方程式で小田原に豊かさを持ってくる鍬入れにならないだろうか。
本の命である文章が分り易いのもいい。普通の声での語り文は、仲々書けないと思うが、達意の著者がよく揃ったものと感心している。
「読んだことは頭に残り、話された言葉は胸に残る」といわれるが、このライブラリーは「話された言葉を読む」思いもする。 |
■■■ 「ライブラリー」で極上のカクテルを! 加藤三朗 ■■■ 今、ここに15冊の本がある。「小田原ライブラリー」、四年間の成果である。タイトルを眺めただけでも小田原地域の文化力の高さがわかる。文化の深さ、自然の豊かさ、それを表現する書き手たち、そして読者の存在。三位一体となって文化力を高めている。
もともと小田原地域は文化と自然の豊かなところである。その影響だろうか、時代を動かすような人物も出ている。近代でいえば、北村透谷。透谷の放った文明批評の矢は現代を貫いて未来へ向っている。『小田原と北村透谷』の中で、この透谷に新しい光が当てられている。このシリーズの特色はこれまでの歴史、文化に新しい光を当てていることだろう。
「小田原ライブラリー」はこの文化と自然の深さ豊かさの恩恵を受けていることがわかる。だが、それだけではない。歴史、文化の掘り起こしも始まっている。たとえば、最新刊の『戦時下の箱根』。タイトルとおり戦時下の箱根を掘り起こしている。箱根はドイツ海軍将兵の疎開地になっていたらしい。たとえば、昨年の10月に刊行された『トーマス栗原 ―日本映画の革命児―』。トーマス栗原と呼ばれた人物が映画人であることはもちろん、秦野の千村の出身だとは知らなかった。黎明期の映画界で活躍した人物らしい。この、専門家の間でもそれほど知られていないらしい人物を見事に掘り起こしている。
さて、この「ライブラリー」をどう読むか。難問だ。とりあえず、タイトルを読でみよう。興味を惹かれたら帯の惹句を読む。ここら辺りはワインなら、香りを楽しむと言ったところか。次ぎは試飲してみる。目次をさっと見て、「まえがき」と「あとがき」を読むのだ。ここを読めば、地ビールではないけれど地場産の味が少し味わえる。一つ、二つ例を挙げると、金太郎は眼病を患っていたらしい。その伝説があちこちに散在している。牧野信一は、三島由紀夫の言らしいが、「二重の映像」で作品を書いていたとのこと。それも西洋と日本との。「二重の映像」と言えば、牧野信一と同じ1896年産まれの宮沢賢治も同じく西洋と日本との「二重の風景」の作家だった。「二重の風景」とは賢治自身の言葉である。2人の作家は、生まれ年だけでなく、作品傾向も重なっていることになる。日本の中身が小田原と花巻との違いがあるけれど。
試飲してみて、これは、と思ったら購入する。本文をベースにしてカクテルをつくることも出来る。読みながら自己流の索引を作っていくのである。読了後は作成した索引に従って本文を再読する。すると、あら、不思議、見事なカクテルになっている。
このように自分の興味に任せて読んでいってもよいが、それでは読書傾向が片寄ってしまうだろう。これほどのシリーズがもったいない。ここは出来れば読書会の力が必要である。それも、可能ならば著者を交えての読書会が。そんな読書会が出来れば、と思う。 |
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著者の声
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昭和60年3月~62年6月、横浜在住の映画史研究家・丸岡澄夫さんと組んで、郷土の映画史を発掘する大型連載を展開。そこで初めて、映画監督・トーマス栗原に出会った。
本名・栗原喜三郎。明治18年秦野に生まれ、大正15年横浜で死去。享年41歳。渡米して映画を学び、帰国後は大正期の横浜にあった映画会社・大正活映で革新的な作品を撮った鬼才だ。
夢工房が発刊している「小田原ライブラリー」の一冊に映画をテーマに書かないかと持ちかけられた時、忘れていた「トーマス栗原」の名が脳裏によみがえった。
映画監督・トーマス栗原は、映画人の間でもほとんど知られていない。故郷・秦野での認知度、またしかり。が、調べるほどに、その先駆性と劇的な生涯に魅せられていった。
現存するトーマス監督の映画は、わずか1本。それも代表作ではなく、名を成す前の作品だ。関係資料は少なく、縁者は秦野在住の義妹、栗原かねさんただ1人。今、書いておかないと、郷土が生んだ鬼才は、歳月のなかに埋もれてしまう。せめて、彼の生涯のアウトラインだけでもつかみたい…。
思い余って、力及ばず。このほど上梓した『トーマス栗原―日本映画の革命児』は、忸怩たる仕上がりになってしまった。“人間トーマスと作品の全貌”に初めて光を当てた、とだけは言えるかもしれないが。
書き上げて痛感するのは、栗原喜三郎の進取の精神と、たゆまぬ努力である。明治時代に渡米、異国で苦難に遭っても、彼は決してくじけない。帰国してからは、旧来の映画作りに反旗をひるがえし、「映画の革命」に命をかける。
しかし、トーマスが生んだ作品群は、斬新にすぎた。世間は、ついていけなかった。早すぎた才能。太宰治風に言えば、時代の先端を行く者の「恍惚と孤独」は深かったろう。
遥かかなたの時代。不退転の情熱で映画に革命をもたらし、若くして病に倒れた偉才が郷土にいたことを誇りに思う。彼の情熱の一端にでも、触れていただければ幸甚です。
大学で日本現代史を学び、自分自身が生まれ育った故郷の小田原で地域史を掘りおこそうと、「小田原地方史研究会」や「戦時下の小田原地方を記録する会」に入り、いわゆる15年戦争期の小田原地方の庶民の歴史について調べてきました。
教員をしながら、休日に、史料を読んだり古老から戦争体験の話を聞いたりしました。調べ始めると、最初は何も見えてこなかった小田原地方の現代史が、雨後の竹の子のように顔を出し、思いもよらない多くの「発見」がありました。そうした調査の成果を、会報や、時には中央の研究誌に発表してきました。さらに、『小田原市史 通史編 近現代』の第15
章「戦争と市民生活」を執筆することになりました。しかし、それらは当然のことながら多くの一般の方に読まれることはありませんでした。そうした「はがゆさ」を感じ始めていた頃、一般の方を読者対象とした小田原ライブラリーへの執筆の話をいただきました。
『小田原空襲』では、戦争末期の小型機による空襲や、敗戦の日のB29による小田原空襲について、体験者への聞き取り調査や米軍資料を用いて、空襲にさらされた小田原地方の様相をえがきました。『戦時下の箱根』(矢野慎一との共著)では、戦時中に多くのドイツ海軍将兵が箱根に滞在したことや、元傷痍軍人の療養所があったことなど、多くの知られざる事実を伝えました。
小田原ライブラリーは、コンパクトな体裁で内容の質を落とさず、一般の方に読みやすく書かれています。多くの方にお読みいただき、地域を再発見してほしいと切に願います。 |
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書店の声 ■■■ 郷土史コーナーの多彩な本 有隣堂小田原ラスか店セールスエキスパート 比留川 猛
2001年11月にスタートした「小田原ライブラリー」シリーズが、昨年12月に刊行の『戦時下の箱根』で15冊になり、また、同時期に刊行の『小田原の梅』、『幕末のスローライフ』の2点を含め夢工房さんの全出版点数も111点を超えたそうです。神奈川に題材の基盤を置いて、歴史、民族、自然、文学、教育など広範囲のジャンルに渡り、知られざる地域の歴史、民俗を中心に掘り起こしを行っている出版社さんです。
昨年6月、有隣堂が歴史ある町・小田原に出店の際に、郷土史コーナーの設置にあたり、真っ先に夢工房さんの出版物を核に品揃いを実施したいと思い、お願いしました。有隣堂小田原ラスカ店の郷土史コーナーにも全出版物を取り揃えさせていただいておりますので、お近くにお越しの節はぜひお立ち寄りくださいませ。
地域発の出版、応援します! 伊勢治書店本店店長 石川 諭
伊勢治書店は、昔から小田原にある店舗なので、地域に関する本を販売することは特に力を入れて取り組んでいます。小田原・箱根を中心とした地域は、その自然の豊かさや歴史的な背景から地元への関心が高く、多くの出版物がつくられています。それらは、地域に密着した目線で書かれ、大手の出版社では扱うことが少なく、出版されたとしても、発行部数が少ないために長く販売されることが難しいのです。出版するのは、出版社以外に、地元でさまざまな研究をしている団体や個人の方が多いのです。当店でも年間に何冊も、そうした本が持ち込まれ、販売のお手伝いをしています。
今回、夢工房さんの「小田原ライブラリー」が15巻に達しました。当店の地元本コーナーでも常に安定して動いているシリーズです。地方から、その地域に根ざした情報を出版社として一つのシリーズをつくり、継続的に発信して行くのは大変なことだと思います。しかし、この地域の豊かな自然・歴史・文化をきちんと記録することは重要なことなので、当店では、今後とも個人出版物を含め、さらに地元本の展開に力を入れて、「小田原ライブラリー」と一緒に地元の出版文化を盛り上げて行きたいと思っています。 |
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読者の声 ■■■ 新しい視点への挑戦に期待 小泉政治(小田原市鴨宮) 夢工房の「小田原ライブラリー」が5 周年を迎えるとのこと誠に慶賀にたえません。心から刊行のご努力をされた版元「夢工房」と「小田原ライブラリー」編集委員会の皆様に一読者として感謝申し上げたい。
本来地域出版は運営が難しく採算面での困難さから大概は3年間で計画倒れになる例が多い。小田原住民として50余年になる私にとって、小田原が生み出した作家やゆかりの人たちが中央に発表されるもの以外は余り出版されず、小田原の自然、風土に育ってきたそれらの人々の文学や心のなりたちを知る由もなかったのですが、本ライブラリー既刊の15点1冊1冊にその思いがこめられており、著者の新しい視点への挑戦が感じられ心うたれます。
今後「小田原ライブラリー」が難題ではありましょうが、今のペースで刊行され、私たち読者に提供され、既刊分も含めて多くの人に読まれることを読者の1人として心から期待したい。
鎌倉時代から戦国時代にかけて箱根山を越える湯坂路と呼ばれる街道と江戸時代に開けた芦之湯と早川沿いの湯本、塔之沢、堂ヶ島、宮ノ下、底倉、木賀の七湯と総称される湯治場の歴史について実に手際よく著述されている。
『箱根路歴史探索』は、流石に読みごたえがあり、読者を魅了して止まない。歴史の宿たちは、福沢諭吉翁や二宮尊徳翁の定宿に加えて明治天皇・皇后の箱根行幸啓等、蒙を啓かれると共に楽しさも倍増する。
読み終えて、これは街道と温泉の序論だと気付かされる。天下の険箱根山における、大名、庶民、朝鮮通信使、西洋人等々の足跡などもっと知りたいことがある。 |
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読者カード ■■■
◆小田原という地に足を置いて、その地平から日本の文化の諸相を考えてみようとされているその志の高さに感銘を受けました。その点で北村透谷は、小田原が生んだ巨星で、優れた透谷研究家の小澤氏の文章を読むことができ 幸福でした。貴社のますますの発展を期待します。(小平市 S)
◆小田原時代の谷崎潤一郎を調べて、トーマス栗原は知っていました。しかしこんなによく調べて一書とされた努力に感心しました。大正活映はいささか時代の先駆者としての悲劇だった思います。こうした地味な、いわば特殊な本を出されることに共鳴しています。今後の活躍に期待しております。(小田原市 K)
◆稲葉正則時代の小田原藩について知識を得ました。ついては、正勝・正則・正道三代についての続編がほしい。(小田原市 S)
◆北条氏康と東国の戦国時代は、資料に基づいて書かれていますので、内容が正確です。読んでいて頭に残ることが多い。北条五大のうち一番活躍したと思われる氏康ですので興味がありました。郷土に近いところの本をこれからも沢山出版してください。(松田町 Y)
◆坂口安吾の小田原在住期をどう評価するか、私にはその力はないが、かつて安吾を一通り読んだとき以来気になっていた「ガランドー」のことがよく分かり、大きな喜びであった。中央のメディアの存在はそれなりに意義あるものとして、すべては地域や歴史に密着した事実の累積が大切で、その意味でこうした本の存在は重いと思う。長くこうした出版活動が続くことを心よりお祈りいたします。(秦野市 K) |
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夢工房より ■■■
夢工房の本づくりは、1988年11月の創業以来、市販本111冊、自費出版物300点あまりとなりました。編集30年余のプロの技と地域と人々への想いにこだわり続けます。大勢の人々に支えられて18年目、これからも地域の歴史・生活文化や人々の心を深く耕しながら、出版文化を創造していきます。(夢工房代表 片桐務)
〒257-0028 秦野市東田原200-49 TEL(0463)82-7652 FAX(0463)83-7355 |