2004年8月4日
夢工房15周年記念出版『牧野信一の文学』刊行

 夢工房が丹沢山麓に誕生してから15年が経った。その節目の年に、A5判900ページを超える文学研究書を手がけることが出来た。これも何かの巡り合わせと、15周年記念出版と銘打たせてもらった。

 著者は鎌倉在住の近田茂芳さん。小田原で長らく「神静民報」という地域紙の編集長を務め、地域の歴史やまちづくり、とりわけ文学に精通していて、自身も創作を手がけている方である。近田さんとは、1994年に行われた北村透谷没後百年祭の実行委員会で席を同じくして以来のお付き合いである。その近田さんが、10数年の歳月をかけて、小田原が生んだ幻視文学の旗手・牧野信一の百科事典ともいえる大作を上梓した。

 最愛の妻「かよ」さんを病の床に見舞いつつ近田さんはこの本の編集・校正作業を続けたが、ついにその本を生前にかよさんにお見せすることは適わなかった。無念である。そして2か月遅れの6月19日の月命日にようやくご霊前にお供えすることが出来た。

 『牧野信一の文学―その「人と作品」の資料的考察』は、40歳を前にして自裁した牧野信一のすべての作品を多角的に分析し、資料的に考察した研究書である。牧野信一のそれこそ「人と文学」をあらゆる角度から研究し尽くした著者のライフワークともいえる作品に仕上がった。まさに牧野文学研究に新分野を切り拓くものである。また著者と編集者との共同作業の醍醐味を味わった出版にもなった。

 小田原は明治以降、多数の文学者が生まれ、あるいは来訪してさまざまな文学作品を生み出す舞台となった。思想家・文人の北村透谷、作家の尾崎一雄、川崎長太郎、詩人の福田正夫、薮田義雄、歌人の鈴木貫介など枚挙に暇がない。また、小田原を訪れ、住処として数多くの作品を生み出した北原白秋や、三好達治、坂口安吾など小田原ゆかりの作家もあまたいる。

 文学の風土としての小田原を彩るさまざまな作家たちの入門書として、小社のシリーズ「小田原ライブラリー」ではすでに『坂口安吾と三好達治』、『小田原と北村透谷』、『牧野信一と小田原』を刊行し、これからも文学にまつわる本を順次刊行の予定である。地域を掘り起こすキーワードの一つである文化や小田原と文学を考える上でも今回の出版が投げかけた課題は多く、小石の波紋がじっくりと広がることを期待したい。(2004年6月19日 片桐 務)


地域出版の世代交代

 
 先ごろ首都圏出版人懇談会の2004年度総会が足柄下郡真鶴町で開かれた。毎年6月の第1週の金・土曜日に首都圏1都7県の持ち回りで開いている会で、今年は神奈川の江ノ電沿線新聞社・230クラブ・夢工房が幹事社である。JR真鶴駅に集合して、まず相模湾を眼下にした露天風呂で汗を流し、真鶴半島にある料理旅館・正徳丸に投宿した。真鶴半島の魚付き林に育まれた魚介類がこれでもかとテーブルに並び、飲み放題の飲み物に持ち込みの日本酒で大いに歓談、果てしがなかった。

 今回は会員社18社のうち12社プラスその家族2名の14名が参加。その中に埼玉のM書房のYさんの2代目がいた。20代後半のYジュニアは、百戦錬磨の中年・熟年編集者の間に入っても特別に窮屈そうでもなく淡々と親父の代役を果たしていた。本好きそうな表情に、これからの地域出版をどうするかといった気負いは感じられなかったが、地方出版第2世代のYさんの後を継ぐ次の世代が出てきたことは確かである。

 一方、地方出版第1世代の編集者は、すでにこの道30年、中には病を得ながらも自らに鞭打って出版を続けている生涯一編集者や、そろそろ次の展開を考えなければという話が酒の肴になったりする。編集者自身や家族の病気や跡継ぎの話がどこからともなく出てひとしきり座が盛り上がった。その後は、本題の地方・地域出版、地域文化をどう掘り起こすかと熱い議論が真っ暗な海の波の音をバックに年甲斐もなく続いた。

 かく言う小生もすでに50代半ば、団塊の世代に属する。地域出版を始めて15年、出版点数もまもなく100冊、大小の自費出版物を加えれば優に400点の本づくりに関わってきた。しかし、1冊1冊の本に想いを込めて走りつづけてきたものの、さすがに30代、40代のころのような瞬発力はなくなった。その代わり、地域に深く沈潜した人のネットワークを編み上げる術をいくらか身につけることが出来た。
 じっくりと地域の歴史・文化や自然を掘り起こしながら息の長い出版活動を続ける基盤がようやく出来つつあるというところだろうか。とりあえずは後6年、60歳を目標にいままで蒔いてきたさまざまな種の収穫を本という形を通して表現したいというささやかな決意を自らに言い聞かせるのである。(2004年6月21日 片桐 務)

インターネットと自己表現
ワープロを使い始めたのは、わずか15~6年前である。私の場合は、悪筆隠しのもっぱらささやかな原稿書きと、仕事上の文書の作成のためであった。携帯電話も早かった。何しろ連れ合いと2人の零細出版、動く社長室状態であるから出歩く機会が多く必要に迫られてというのが実際である。珍しいものには目がなく飛びつくが、さりとて、その後の技術革新のさまざまな機能の多様化にはほとんど対応しなかった、というよりも出来なかった。必要に迫られてFAXが入り、コピー機もモノクロからカラーに取って代わり、パソコンも早々に買い込んだが、長いあいだ宝の持ち腐れであった。

 その間に、生まれた時からカラーTV、ゲーム機器、パソコンが当たり前の世代が育ち、その人たちが今までとは違った消費行動を起こし、ライフスタイルをとり始めた。習うより慣れろとばかりに、マニュアル書はそっちのけでゲーム機器を使いこなし、パソコンや携帯電話を使って自己表現をし始めた。グーテンベルグ以来の紙の本はどうなるのという心配があちこちでささやかれ始めた。紙の本は無くなりはしないものの、電子ブックと言われるペーパーレスの本が出現し、その市場はいま急速に拡大している。

 インターネットやEメールを生活の一部として取り込み、さまざまな情報を手に入れ、バーチャルなコミュケーションをいとも簡単に実現している世代の人々は、新聞や紙の本を読まないのであろうか。湯水のごとく流れ、消えて行くPC上のさまざまな情報は、それゆえに紙の本の表現や作品とは異質のものなのだろう。という想いがアナログ編集者である私の硬い頭の片隅にしっかりとあった。

 しかしである。偏狭なアナログ思考を見事に打ち砕いてくれた一人の若者がいる。自身のホームページ上に詩とエッセイを書きつづけ、周囲の人々に優しさに満ちたメッセージを残して、若者はある日、無謀なトラックの交通事故に巻き込まれ、旅立った。いま私の手元にはホームページから出力した数百枚の作品がある。バーチャル世代といわれる若者の天才的とも思える生命力に満ちた言葉の結晶である。どのような作品として編み上げ、ご両親の元に届けることが出来るのか、アナログ編集者の心と技がいま私自身に試されている。(2004年8月4日 片桐 務)