2006年6月3日
レヴィンと澪つくしの大地


「レヴィン」の止まった時間

 2006年5月20日夜、千葉県香取郡東庄町の公民館は600人余りの人で埋め尽くされた。10年ほど前に開かれた佐藤宗幸コンサート以来の大入りだという。

 「レヴィン追悼コンサート」は、交通事故撲滅・故郷再生をテーマに企画された。新聞各社やNHK千葉FM放送は、事前の予告記事・放送で広く千葉県内に情報発信してくれた。ご遺族の高木さん家族の想いとそれを支えてくれた地域の人たち、東庄町役場の人たちなど、実行委員会には50名近い地元の人々が加わり企画・準備・当日の運営に奔走した。チケットは5月中旬にはほぼ完売状態。当日券はわずかであった。

 お昼過ぎに東庄に着き、高木さんの家に寄り焼香した。何か手伝いをと思うものの、すでに準備万端。盧佳世さんのリハーサルを楽しんだ。公民館の和室には、リハーサルを終えた出演者やスタッフ用に、おにぎりや煮しめが用意されていた。朝早くから実行委員会の女性メンバーが活躍した。夕方6時開場の東庄町公民館には4時過ぎから町民が集まり始めた。流れる時間がゆるやかだ。コンサートの前から、このイベントを十分に味わおうとするかのように。

 東庄町長のあいさつに続いて、仕掛け人の東庄出身で友人のジャーナリスト・野口さんが、「般若心経」を朗詠し26歳の時間が止まった「レヴィン」こと高木昌宣さんを追悼した。詩集『レヴィンの系譜』の成り立ちと追悼コンサートの秘話、故郷東庄の宝物・文化財をみんなで育て、地域の活性化に活かそうとメッセージを発信した。

 地元「音色の会」のライブや、詩の朗読、レヴィンの詩を盧佳世さんが作曲した「かたち」「蒼い空」「悲しみの雨の中で」の3曲をはじめ、レヴィン追悼コンサートは、夜9時まで続いた。アンコール曲はこの日のもう一つのテーマ、韓国と日本の『故郷』。レヴィンの想いが参加者の心に染み込んだ。昌宣さんがすぐそばに寄り添っている、そんな思いさえした。

 最後に昌宣さんの父・利昌さんからスタッフ、会場の皆さんに感謝の言葉が。「レヴィンの生みの親、育ての親は、野口さん、片桐さん、盧さんです。皆さん、これからも長くレヴィンと付き合ってください」という言葉に胸が熱くなった。持ち込んだ詩集『レヴィンの系譜』を求める人の列はコンサートの余韻の中に連なった。

 会場を移して、高木さんのご家族、実行委員会のメンバー、出演者と一緒に打ち上げ会に参加させてもらった。一大イベントをやり遂げたスタッフの顔は満足感に溢れ、どれもこれもキラキラと輝き、あちこちでビールやお酒を酌み交わす談笑の輪が広がった。宴も後半になって、盧佳世さんからマイクが回ってきた。

 「感動しました。高木さんのご家族と地域の皆さん、東庄町役場の人たちが想いを一つにして企画・準備して成し遂げた交通事故撲滅と故郷再生の追悼コンサート。1回だけに終わらせないで、どのような形であれ、東庄の宝ものを伝え続けてもらえたら嬉しい。本づくりに関わらせてもらった立場で、出来ることはお手伝いします」と話した。

 「レヴィン」の言葉の力は、この地域だけの宝ものではないと思いながら宿に着いたのは1時半過ぎであった。


「澪つくし」のゆるやかな時の流れ

 翌朝は、高木さん宅にごあいさつに伺い、野口さんのご家族と一緒に「澪つくし」で名高い「入正醤油」の工場見学に行った。醤油作りはまさに醗酵が命。1724年創業の当主多田庄兵衛さんの話は悠揚迫らない。「小さな醤油屋が大企業と共存するためには、他にできないことをやる以外にない。新しい発想で付加価値を付ける。この施設も最近独自に開発・導入したものです」と言いながら、「つい最近」が何と20年も前のことであった。

 職人さん以外は普段は人を入れない醗酵棟に足を踏み入れさせてもらう。ブツブツと泡を立てる醤油の原液。きれいに掃除し尽くされた室内。飴色に染み込んだ柱・床・天井。「醗酵は人間が休みの日でも文句を言わずに仕事をしてくれます」と軽妙に語る多田さん。本物の醤油作りを一途に、軽やかに続ける原動力は何かと考える。これも地域の紛れもない文化財だと頷く。ゆるやかに流れる醤油倉の時間が、独特の香りと共に深く全身に沈潜した。

 レヴィンと澪つくしの時間は、この大地の風土と人々の「こころね」の中で育まれたのだ。