2006年7月1日
水に流せない話


丹沢山麓の自然人の挑戦

 秦野市名古木の復元棚田の田植えをNHK BS2でご覧いただいた方はいらっしゃるでしょうか。「おーい、ニッポン 私の・好きな・神奈川県」というタイトルで、6月4日午前11時から午後5時までの6時間、横浜の赤レンガ倉庫をキーステーションに神奈川のさまざまな魅力を全国に向けて発信しました。その番組の中で午前6分、午後12分、合計18分の生中継が、県央地区を代表して秦野市名古木から行われました。県央のテーマは、「丹沢山麓の自然人」「挑戦」でした。

 これまで田植えをやったことのある人は、そう多くはないかも知れません。米どころ新潟・長岡出身の私は、田舎にいた高校まで田植え・稲刈り・ハザ掛けをやりました。当時は、大変な農作業をやらされているという思いが強く、米づくりの喜びなど余り感じていませんでした。ところが、第2の故郷・秦野に移り住んで20年、農家出身の血が騒ぐのか、このところ土を耕していると安心します。仲間と一緒に、丹沢山麓のかつての棚田を復元して、日本の穀物の雄・米づくりをやっています。


棚田の復元は開墾

 2002年から取り組んだ棚田の復元作業は、まさに開墾ともいえる難事業。身の丈以上の雑草が生い茂り、クワやヤナギなどの潅木が繁茂していました。草を刈り、木を切り倒し、根っこを掘り起こし、野焼きをしました。スコップと鍬で畦の土を盛り、緩やかな曲線が描く1メートルほどの段差のある小さな空間が現われました。ここは棚田だったんだと納得しました。

10年以上も耕さずに放置すると、かつての伝統的農村景観はすっかり消えてしまいます。それは丹沢山麓だけのことではなく、全国至るところで見られる荒廃した日本の里山・里地の現状です。


生命の水の循環

 米づくりには水が必要です。特に棚田の場合には、どのようにして田んぼに水を入れるかが大問題です。私たちは、小さな沢から水を引き込むために水路を掘り、間伐材で堰を作り、水位を上げて水を呼び込みました。ようやく水の確保ができたと喜んだのも束の間、台風による大雨で堰は流され、沢は1メートル余りもえぐられました。その復旧にさらに数か月を要しました。

 沢を遡ると、雑木林の向こうには手入れされていない真っ暗なスギ・ヒノキの植林地がありました。下草も生えていない地表を雨は走り、沢に集まり、一気に土手を蹴散らし、川底をさらったのです。山の上から中腹そして里山・里地と、丹沢の自然の循環はいま至るところで途切れています。生命の水がいま危険に曝されているともいえます。


生物の多様性の舞台

 生命の水は、人間のためだけではありません。名古木の棚田では一部、冬季湛水・不耕起栽培を行っています。いつも田んぼに水があることによって様々な水生生物が戻ってきました。いま、東海大学人間環境学科の北野ゼミで2年がかりの調査を行っています。タニシ、ホトケドジョウ、イモリ、サワガニ、ヘビ。空には猛禽類のノスリが舞っています。名古木の桃源郷は、国道246号から直線で1キロ足らずのところにあります。身近な自然との付き合い方を体で学び、収穫の喜びを感じながら、自然の循環とともに、地域の人と経済の循環も元気であってほしいと願っています。

 復元した棚田は、当初の7枚約10アールが、今年は23枚30アールほどになりました。いま名古木の棚田は、沢の両側の田んぼが水を湛え、苗の緑が濃くなりました。水は棚田の上から順に下の田んぼへと日の光を浴びて温かくなりながら流れ、養分を供給しています。人の手が入ることによって活かされる自然もあるのです。これは水に流さないでほしい話(?)だと思いますが、如何でしょうか。


(NPO法人丹沢自然保護協会『丹沢だより』2006年7月号より転載)