2006年12月23日
第3回「団塊サミットin丹沢」での出会い』

12月2日、3日に丹沢山麓・秦野で団塊サミット「団塊パワーで地域創造を!」を開催した。NPO法人自然塾丹沢ドン会などの市民グループと秦野市の協働で実行委員会を立ち上げ、小生はその事務局を担当した。NPOと行政の協働の新しいまちづくりの一つの試みでもあった。

 基調講演は1950年の早生まれの残間里江子さん。残間さんといえば、1980年に山口百恵さんの『蒼い時』を出版プロデュースして世に知られた人。同時代を生きてきた小生にとっても興味津々の方である。団塊世代へのメッセージ「立ち上がれ、団塊人よ!」を予定の1時間を10分もオーバーした元気トークを聞くことができた。「ここ1~2年のうちに、塊としてこれまでとは違うシニア像を打ち出さないと、これからの日本の社会を変革する力にはなり得ない」と残間さんは団塊世代にエールを送った。

 講演のあとは、3つの分科会「『新しい公共』と担い手は」「緑と農の元気づくり」「地域創造と団塊の地域デビュー   」。14人のコーディネーターとパネリストが白熱した議論を重ねた。全体会は、コーディネーターを元NHKのアナウンサーの松田輝雄さんにお願いして「団塊世代よ、セカンドライフをどう生きる!」と題して開催。パネリストの一人である木谷正道さんは、「定年後はセカンドライフではない、いままでの生き方の延長線」と捉え自らの生き方を再確認しようと訴えた。最後に「団塊人よ」という今回のサミットのメッセージを採択した。その一部を抄録する。

 「……未知なる世界へ向って新しい生き方が始まる/さあ、出発しようではないか

ひとり、ひとりが個性を輝かせ/新しい家庭像を築いていこう/新しいふる里を創っていこう/われら団塊人は一つの大きな力、大きな力なのだ

さあ、一歩を踏み出そう/団塊人よ/あなたの立っているこの場所から」

 夕方からの第2部は、ミニコンサートと交流会。「盧佳代(の かよ)、青春を歌う!」とドン会手づくりの棚田米やそば、手づくりの郷土料理と地酒、地ビールで全国各地から参加のみなさんと交流を深めた。コーディネーターの一人の木谷正道さんはギターの弾き語りで会場を沸かせた。

 翌日は丹沢ドン会の収穫祭。昨夜のサミットの参加者の一部は神奈中ホテルに宿泊し、渋沢丘陵、金井酒造、源実朝御首塚を見学した20名あまりも合流。小春日の棚田で地酒と一品持ち寄りの品々で飲み食いし、フォルクローレに酔いしれた。

 サミットを終え、ご協力いただいた講演などの出演者、関係団体に礼状を出した。その一部を掲げる。


 「第3回「団塊サミットin丹沢」の開催に当たりましては、ご多用の中、ご出演、ご高配を賜りありがとうございました。十分な準備やおもてなしもできずにサミット当日を迎えましたが、盛りだくさんなプログラムを、ご出演のみなさまの絶大なるご協力と、楽しく情熱的な議論により、大いに盛り上げていただきましたこと、深く感謝申し上げます。また、事前の告知や当日のテレビ・新聞・雑誌などの取材につきましても様々にご対応いただきましたこと感謝に耐えません。

 団塊サミットも2007年の直前で3回を終え、フロントランナーとしての役割をある程度果たしたのではないかと考えております。これからは、全国いたる所で、それぞれの地域における「団塊人」一人ひとりの実践のためのサミットが開催されると思いますし、現にそのような波紋が広がりつつあります。大分、新潟、岐阜、東京、横浜、相模原、鎌倉などにおいて、そのような動きがすでに始まっており、サミット事務局へも今回の内容について事前・事後の問い合わせが寄せられています。第3回「団塊サミットin丹沢」開催の意義をあらためて確認し、現代日本の社会、団塊世代へのメッセージを発信できたのではないかと愚考しております。

 サミットのご縁でお会いできたみなさまとのお付き合い、情報交流を今後ともお願い申し上げます。それぞれの技と知恵を出し合い、社会を動かすムーブメントになることを期待と祈りを込めてお願い申し上げ、ごあいさつといたします。本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」


 今回のサミットの議論の内容をまとめ、さらなる情報発信の手立てとして2007年4月には「記録集」を出す予定で、いま協力要請をしているところである。