2008年05月26日
手づくり冊子『「十日市場」の宝物 再発見!』

 丹沢山麓・秦野に「市民が創る秦野のまち」という少し変わった名前の市民グループがあります。私は1999年の設立メンバーの一人です。

 グループは、明治後期に秦野市・尾尻に建てられた旧梅原家の洋館保存運動に端を発します。1997年にその洋館が建つ敷地が、当時の所有者である民間企業から郵政省に売却される際に、近代の秦野の産業を物語るこの洋館を保存しようという市民運動が起こりました。このまま放置すれば単なる燃し木になる。「ものがなければ物語れない」というキャッチフレーズのもとに、現地保存、曳き家保存など、さまざまな可能性を模索して、秦野市、郵政省などとぎりぎりの交渉をしました。

 結果として、建物そのものの保存は叶わなかったものの、5000名余りの保存運動に寄せられた市民の賛同署名と350万円近い浄財により、市民自身による洋館の調査・解体と、秦野市との覚書締結が実現しました。

 いつでも復元が可能なように、洋館の部材は、いま市内の小学校の空き教室に保管されています。また、この運動の記録は『秦野の鹿鳴館―旧梅原家洋館の保存運動 全記録』として1999年に夢工房から発行しました。

 この市民運動を教訓として、「市民が創る秦野のまち」は誕生しました。地域に潜んでいる地域の宝物を掘り起こし、市民共有の財産として、多くの市民が知り、愛することが、私たちのまちづくりの基本だ、ということに思い至ったからです。

 以来10年間、このグループは、年に1〜2回の「近代たてもの見て歩き」を、多いときには80名余りの市民の参加を得て実施してきました。会のメンバーには、郷土史家、建築史家、建築家などその道のプロが多数参加していますが、あくまで市民の目線で市民によるまちづくりを目指してきました。「市民が創る秦野のまち」という名前はそこから来ています。

 そのグループが、2007年度の「はだの市民活動団体連絡協議会」の「市民活動サポート事業」の助成を受けました。5万円というわずかな金額でしたが、活動の成果を『「十日市場」の宝物 再発見! 秦野・歴史資産調査1 ―本町四ツ角周辺―』という冊子にまとめ、5月25日の成果報告会で代表の福田省三さんが発表しました。福田さんは、歴史的建造物の調査・復元を日本全国やアジアの各地で実施している企業の代表でもあります。飾らない人柄で、秦野のまちづくりのキーマンの一人です。

 「冊子」第5章の「まちづくりへの提言」に小文を書きました。それを次に掲げます。

 「冊子」の表紙

地域の「宝物」を生かしたまちづくりを

 まちづくりの基本は、そこに住む人と街の宝物です。わが街を愛する人がたくさんいて、地域に存在する愛すべき宝物を知ることです。お年寄りから赤ちゃんまで、さまざまな年代の男女が、生活の場である地域にそれぞれの居場所があり、何がしかの役割があります。幾つになっても生きがいを感じながら、生き生きと安心して暮らせる街が大切です。

 暮らしの便利さだけを追いかける時代は過去のものとなりました。身の回りや地域の路地裏を少しゆっくりと自分の足で歩いてみませんか。今まで見えていなかった「宝物」が目の前にすっと現われるようです。今回の「近代たてもの探偵団」の活動は、まさに、「本町四ツ角周辺」という地域に潜んでいる「宝物」の再発見であり、出会いでした。何気なく通り過ごしていた街のいたるところに、先人たちが生み出し、育み、今日まで伝えてきた地域の歴史や生活文化、さまざまな生業などの生きた証しがねむっていました。時を経ることによって、「宝物」はさらに年輪を重ねた風景を醸し出しています。この「宝物」をもっと多勢の地域の人びとや秦野市内外の人たちに知ってもらいたいと思います。

 人が散策する路地裏。生活の安全と安心を踏まえながらも、人が歩く路地を残したいもの。曽屋用水の歴史を現代に甦らせる水路には丹沢が育んだ命の水がゆるやかに流れます。車が入らない、蔵と蔵を結ぶ散策路には、老若男女の笑い声が絶えません。

 蔵では、コンサート、個展、発表会、子育ての相談会、さまざまな障害を抱えた人たちの交流の場や、高齢者のケアの場もできます。世代間の交流によって、さまざまな生活の技が継承されます。それらを結ぶ多様なNPO活動の拠点も所々に設置されます。人びとが行き交い、活気がよみがえります。ねむりから覚めた「宝物」が輝きます。

 この報告書は、「秦野・歴史資産調査」その1です。さらに「宝物」探しはつづきます。それぞれの地域の「宝物」を最大限に生かしたまちづくりが今とても大切だと感じています。

 この冊子は、A4判60ページ、オールカラー(コピー)、35冊の限定出版です。本づくりにもさまざまな形があることをレポートしました。


 成果報告会でレポートする福田さん